不満・葛藤を持つことから志が固まる
昨日は中3生の国語の授業で
道コンの過去問を扱いました。
道コンで扱う論説文は
内容的に秀逸で
大人の私でも学ぶことが多いです。
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昨日扱った文章は
「我々が人間としてこの世に生を受けた意味は?」
という根源的な内容でした。
おそらく中学時代の北野少年ならば
頭の中で「?????」を連発させていたと思います。
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内容を要約させていただくと…
人は2つの意味で奇跡的な生き物である。
1つは海に原生生物が誕生してから4億年弱でさまざまな偶然が重なり、進化の結果人間が誕生した。
もう1つは、その人間が他の動物と異なり、精神的な文化を発達させた。
精神的な発達によって、家族や友人との愛情を育み幸せを感じさせてくれることがある。
しかしながら、一方で成長に伴い、社会や人間関係において不満や困難、苦痛を感ずることもある。
そこで、これらの矛盾に対しては、悩むということが発達の途上にある人間として当然であるということを心にとめ、自分の感じている不満や困難、悩みなどを振り返り、自分のあり方を見つめ直すように対処することが大切だ。
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このお話を授業で伝えながら
私自身も社会に問題意識を持つことで、教育の道を志すようになったなぁと思い出しました。
中3生には「おじさんの体験談」として5分ほど語らせていただきました。
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高1までの私の夢は「アナウンサー」でした。
小学校の文集でも中学校の文集でも夢は「アナウンサー」。
しかし
高校生になった北野青年が過ごした時期は
バブル崩壊後の煽りを受けた不景気の真っ只中でした。
大きな銀行がバタバタ破綻し
私の友達数人のお父さんが行員だったので、みんな不安がっていました。
その方々は再就職先が決まったみたいで安心しましたが…
一方で、北海道庁の汚職事件も取り沙汰されていた頃です。
いわゆる「官官接待」ですね。
そんな世の中に対する不安や不満に対して
「教育を通して人づくりの道に進もう」と志したことを思い出しました。
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夢とは私自身にとっての大きな願望です。
それが
「社会を通してお役に立ちたい」という貢献の思いが備わることで
志にかわります。
小中学生の皆さんにとって
今どのような夢を抱いているでしょうか?
ぜひ、その夢を大切にしてもらいたいです。
しかし
今後、人との出会い、社会情勢によって
その夢が大きく変わることもあるでしょう。
もちろん変わらずにそのまま抱いて進む子もいるでしょう。
いずれにせよ、
10代のどこかで
その時抱いている夢を通して
社会に貢献したいという志が明確になることと思います。
その時が新たなる人生のスタートの時なのかもしれませんね。
「立志」「立命」
学校や塾にそのような名前を冠にするところが多くありますが
自分の命の意味、志を明確にすることは
人生にエネルギーを漲らせてくれると思います。