塾長の日常

古巣に行って感じたこと

昨日のブログにも書きましたが

南千歳に行って楽しんできました。

その後、千歳市内のスーパーで買い物をし

色々寄り道をして帰りました。

私が19歳から35歳まで働いていた街です。

千歳を訪れると自然と昔のことが思い出されます。

千歳で働いていたのは2015年2月までですから

もう7年以上前のことです。

しかしながら

今でも月に1回は前職時代のことが夢に出てきます。

北野立志塾についての夢は不思議と見ないんですがね汗

20〜30代前半は、本当に働きました。

結婚する前は、休みの日も出社しました。

休みの日に何をしたかというと

テスト直前にも関わらずテスト勉強がすすんでいない子たちを塾に呼んで

補講をしていました。

これはその子たちのためにはならないということを後々気がつくわけですが、

当時は必死に善意で応援していました。

教材作成のために休日出社したこともあります。

自分の意志で働いたこともありますし

上司からの圧力を感じて働いたこともありますが、最後は自分の意志で動いたと思います。

連休をいただく前は辛かったです。

私がお休みする間の準備に明け方を通り越して、

お昼前まで働いたことが何度もあります。

そして、他の講師が出社する前にはバレないように帰宅するんです。

バレたら「仕事ができない人」みたいでカッコ悪いじゃないですか苦笑

実際、仕事ができない人だったから仕方がないんですが…

20代の頃は、本当に頼りない講師だったと思います。

自分の授業には全く自信がありませんでした。

しかし、私に転機が訪れました。

30歳の頃に私立中入試クラスを担当することになったのです。

ある年は2人クラス

ある年は6人クラス

少人数のクラスでしたが

週5日の授業、夏期講習と冬期講習と正月特訓

彼ら彼女たちとびっちり勉強しました。

そして、みんなが頑張ってくれたおかげで

しっかり私立中に合格してくれました。

同時に私自身にも自信が芽生えました。

そして、再び中学生クラスをメインに指導し

教え子たちからも頼られるようになり

塾講師としての自信を深めることができました。

私は千歳の方々によって育てていただきました。

本当に感謝しております。

正社員として入社して間も無い頃に塾長に言われたことがありました。

「北野

与えられた仕事は、まずは断らずに引き受けろ

必ずお前の力が引き出され

将来、独立した時に役に立つから」

その時々で色々な仕事を与えられました。

中学社会の教員免許を持っているにも関わらず

初めに与えられた教科は「国語」「理科」

ただでさえ授業に慣れていないのに

文系と理系の教科を受け持ち

寝る時間を削って授業の準備をしました。

次の年、いきなり「数学を教えろ」と言われ

独立まで数学を教え続けました。

今では、1番自信を持って指導できる教科です。

休日返上で勉強が苦手な子たちと関わらせていただいたことで

この子たちがどの教科のどの単元で躓くのかを知ることができました。

その時々に与えられた仕事・テーマに全力で取り組んだので

35歳で独立することができたと思います。

よく1人で塾を回すことに驚きの声を頂きますが

全ては前職時代に同業他社の塾講師たちよりも多く働いたことが大きいと思っています。

「将来自分の塾を開く」

この目標が強く光っていた時と下火になっていた時とありましたが

目の前の生徒たちのために今できることを必死にすることは

今もあの当時も変わらず大切にしていました。

今の思考と行動が未来の自分を創る。

きたのっ子たちとのご縁に感謝し

精一杯応援させていただきたいと改めて思った1日でした。

千歳は今でも私にとって特別な場所です。

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